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ジェイソン・ウィンターズ卿について - 癌になる前の人生

末期癌と診断される前は、ジェイソン・ウィンターズ卿は豊かで風変りな人生を送っていました。世界中のエキゾチックな国々を旅行したり、水・陸・空を問わず勇敢な旅に出たり、ハリウッドで死をも恐れないスタントをしたりと、ジェイソン卿の人生はまさに息を飲むような冒険の連続だったのです。ここにそれらの驚くべき出来事をいくつか紹介しましょう。



1967年 - マッケンジー川を下る壮大なカヌーの旅


カナダの100周年記念の際、ジェイソン・ウィンターズは祝賀するために何か人のあっと驚くようなことをやってくれないかと頼まれた。ひょろっと背の高いジェイソン少年は家族と一緒にカナダへ移民し、ブリティッシュ・コロンビア州で木材の切り出し人をやっていた。彼と友人のダン・ロスとで、グレート・スレーヴ湖から北極海に面したイヌーヴィックまでマッケンジー川を下る1600マイルの冒険をしようと思い立った。 荷物を積み込んだカヌーに乗った二人の男が、報道陣やインディアン達の声援に見守られながら、岸を離れた。それは長く、辛い旅だった。常に虫に刺されながら、二人は世界で7番目に長い川の完全なまでの静寂の中を旅した。ある時、激しい嵐でカヌーが酷く損傷してしまった。途方もない風と滝のような土砂降りでカヌーは瞬く間に水で一杯になった。彼らはカヌーを岸に寄せ、びしょ濡れで疲れ切った体を横たえたが、その間にも何千という虫にひっきりなしに刺されていた。彼らは3日間、文明から何マイルも離れ、道もないこの岸辺で立ち往生させられた。洞窟の中で火を焚きながら、彼らは餓死する寸前だった。 R.C.M.P.(カナダ国家警察)のヘリコプターが立ち上る煙を発見し、この岸部に着陸した。彼らの捜索を依頼されていたこのパイロットは、ヘリコプターのフロートにカヌーを吊るし、このお腹を空かせた汚らしい二人を、隠れた石油探査基地へと送ってくれた。彼らはまるで兄弟のように温かく歓迎され、豆とステーキをご馳走になり、更には小さな小屋のベッドで10時間も眠った。目を覚ましてみると、何と探査隊の人々が彼らのカヌーを完全に修復してくれていたのだった。ジェイソンは旅の続きを再開できるように、パイロットに拾ってもらった同じ場所に送り届けてくれるよう頼んだ。 彼らがついに無事に北極海に辿り着くと、新聞はこれらの話題でいっぱいだった。

2800マイルにも及んだマッケンジー川を下るカヌーの旅に出発する直前のジェイソン卿








マッケンジー川の冒険に出発する前に別れを惜しんでいるダン・ロスとジェイソン卿








マッケンジー川の旅の途中の一場面











1968年 - 熱気球によるカナディアン・ロッキー山脈越え


ジェイソンは「OH カナダ」という名前の熱気球を買い、気球のパイロットの免許のようなものを取るために運輸省でトレーニングを受けていた。このような免許は過去に誰も取得したことがなく、とても難しかった。何週間も忍耐強く頑張った結果、ついに彼はこれを手にすることができた。そして彼は、気球でロッキー山脈を越える最初の人間になるはずだった。 すぐに彼はなぜ今まで誰もこれに挑戦しなかったのかがわかった。上昇気流によって気球はぐるぐると回され、14000フィートもの上空へさらわれたかと思うと、すぐに今度はゴンドラが山のてっぺんに擦れるほど低く落とされた。8000フィートの高さで、突風が吹き、まるで帆のようになってしまった気球は自由落下し、時速30マイルのスピードで墜落したのだった。ジェイソンは気を失い、1時間以上も倒れていた。 彼は眼を覚ますと、青草の茂った丘を越えて歩きだした。3時間ほど歩き続けた頃、1台のジープが止まった。運転手のラルフ・二コルスはすぐにジェイソンをハイ・リバーにあるホテルへ連れて行き、彼はまるで王様のような待遇を受けた。地元のお針子さんが気球を縫い直してくれ、2日後にはジェイソンは予定の旅に復帰し、無事山越えを完遂することができた。

カナディアン・ロッキー山脈を熱気球で横断した後のジェイソン卿
ロッキー山脈越えに出発する前の熱気球「OH カナダ」
ロッキー山脈越え - 出発準備
「People」誌 1972年 2月23日号に掲載されたカナダ横断気球の旅の準備の写真



1969年 - ヘリウムガス気球による大西洋横断


この歴史的なイベントは「National Geographic」誌に取り上げられ、1978年12月号(Vol, 154、No.6)に掲載された


(以下の画像をクリックすると、拡大された画像が別ウィンドウに表示されます)

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イギリス人男性が世界で初めて気球で大西洋を横断するという企画が作られた。満場一致でその白羽の矢が立ったのが、この時既にマスコミから「この男は何にでも挑戦する」と謳われていたジェイソンだった。

ひとりの助手と共に、ジェイソンは巨大な気球をトレイラーに積み込むと、オンタリオ州を横断し、ノバスコシア州のハリファクスまで移動した。彼は大きなトラック一杯のヘリウムガスボンベを出発地点に運んでもらうよう手配していた。空気より軽いヘリウムによって、気球は空を飛ぶのだ。

出発の日がやって来た。何千もの人々がこの壮大な冒険イベントを見ようと集まった。気球はヘリウムガスで一杯になり、風は西向き、もちろんそうでなくてはならないのだが。 そこへひとりの修道女が、出発を待つ二人の男が座っていたボートへ駆け寄り、ジェイソンの手に聖なる十字架をギュッと押しつけて行った。そして、幾千もの歓声の中、気球は空へ向かって浮き上がり、飛び去った。ジェイソンは典型的なゴンドラの代わりに小さなボートを気球に取り付けていた。事実、これによってこの二人のクルーの命が助かることになった。

その夜遅く、完全なる静寂と暗闇の中を風に乗って漂っていると、エンジンの音が聞こえてきた。1機の飛行機が轟音を立てて彼らの横を過ぎると、回転し、とても眩しいサーチライトで気球を照らし出した。彼らは拡声器で「グッドラック、ジェイソン!」と叫ぶ声を聞き、そして飛行機はどこかへ消えていった。後に彼らはその声の主が、カナダのトルドー首相であったことを知ることになる。首相自らわざわざ飛行機に乗り、彼らにエールを送りに来たのだった。

マルコニ・ラジオを通じて、二人の男たちは世界と連絡を取ることができた。しかし、それも全く突然に、激しい騒音に変わってしまった。ジェイソンが高度計を調べてみると、何と彼らは急速に高度を失っていたのだった。彼らは気球を軽くするためにあらゆる道具を放り投げたが、まだ落下し続けていた。ついに彼らはマルコニ・ラジオを投げ捨てた。すると、少し失速したが、それでも彼らは30フィートの大波の間に墜落してしまった。小さなボートは今にも転覆しそうだったので、すぐさま気球を切り離さなければならなかった。ジェイソンは二万ドルの気球が海を渡って消えていくのを眺めた。きっと彼の気球は今も大西洋のどこかに沈んでいることだろう。

2日後、一切陸地が見えない大海原で船酔いに苦しんでいると、海空共同救助機が、気を引くために黄色い帆を掲げていたジェイソンに気付いてくれた。すぐに彼らを拾うために漁船が手配された。この冒険ミッションは失敗に終わったが、二人の男たちは生き延びることができた。



ジェイソン・ウィンターズ卿が気球に乗って大西洋を渡り旅する新聞の切り抜き




























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